2008年1月28日月曜日

システムの科学 part 1

システムの科学
ハーバート・A. サイモン Herbert A. Simon 稲葉 元吉
489362167X

コンピュータ科学、心理学専門でノーベル経済学賞を受賞しているなんでも一流の著者による本(初版1969年)。
そして自分が大学生の頃に所属していた研究室のバイブル的な本。
当時初めて読んだ(読まされた笑)のは大学4年生の時で難解であまり意味がわからなかった。
先日ふと本棚にほこりをかぶっているのを見かけてひっぱりだして読んでみた。

読み終わって思ったのは、この本は自分のやってきたこと、今やっていること、そしてこれからもやっていくであろうこと、に関して色々とヒントを与えてくれる、ということ。
もちろんその内容の全てを理解したわけではないし(自分のものにする、という意味で)、これからもこの本を読む度に新しい発見があるのだろうけど、研究室の指導教官がこの本をいつも引き合いに出してたのが少しわかった気がする。

内容は濃すぎて一度にここで書くことはできないけれども、この本は「デザイン」とは何なのか?ということを科学的な知見や経験から述べている。
ここでいう「デザイン」はもちろん見た目だけのデザインではなく、制度設計、製品開発、芸術、あらゆる「人工物」に関わる全て。
その切り口として著者は、「人間の思考」というものを取り上げている。
つまり人間の思考や問題解決能力を研究することによって、それがしいては「デザインの科学」「人工物の科学」につながっていく、と。

本書の中の大きな主張の一つとして以下がある。

1つの行動システムとして眺めると、人間はきわめて単純なものである。その行動の経時的な複雑さは、主として彼がおかれている環境の複雑性を反映したものにほかならない。
たとえば、蟻が歩いた経路は複雑であるかもしれないが、蟻は単体としてみれば単純である(障害物にあたったら違う方向をみて動く、などなど。おそらく非常に簡単なプログラムに基づいて動いているものと思われる。もちろん蟻といえどその内部構造は複雑極まりないが)。
ここで蟻の経路を複雑にしているのは蟻が置かれている複雑な環境そのものであり、そこには岩があり、水があり、様々な障害物がある。
著者は人間の一見複雑極まりない「知能」というのも単純で「人工的」なメカニズムをベースとしているとする。
その複雑性は人間のおかれている環境にあるとし、その科学的知見を述べている(ここで誤解を恐れずにいうと、人間の思考は「人工的」であるとは言っているが著者はデカルトの機械論とはかなり異なる立場にあると思う。でもとりあえず省略)。

これを現在のインターネットの世界に照らし合わせてみると結構おもしろい。

Webの世界にはあらゆる知識や情報があり、検索エンジンを通して個は自身をエンパワーすることができるため、よくWebの世界は外部化された「脳」みたいなものだと言われている。
こういうことは確かに感覚的にはなんとなくわかるんだが、「脳」という便利な言葉で片付けている感がしていまいちすっきりしなかった。

サイモンの上の主張はそのまま今のWebの世界にも当てはめることができるとおもう。
Web上にあるページをインデックス化しているのは検索エンジンのロボットである。
その仕組みは複雑かもしれないが、これは人間がプログラムしているものであり、よって「人工物」であり、単純である。
一方、Web上の各ページを作成しているのはそれぞれの人間であり、その総数や書いてある知識は膨大かつ日々爆発的に増えており、複雑である。
すなわち、検索エンジンを行動主体としてみた場合、検索エンジンがもたらすその複雑な知的な行動(あらゆる情報があってそこから色々と引き出せる、という意味)は、結局はその検索エンジンの環境であるWebの複雑さがそれを反映しているだけであり、検索エンジン自体は単純である。

サイモンの仮説(もちろん当時はWebなどない)にたってみるとWebが「脳」というふうに言われる所以は確かに合っているのかもしれない。
まさに、「人間の思考」を考えることによってWebという人工物を少し理解することができる。

とりあえずの締めとして本書の引用を。
もしも私の主張が正しいとするならば、技術教育に関する専門的な1分野としてのみならず、すべての教養人の中心的な学問の1つとして、人間の固有の研究領域はデザインの科学にほかならない、とわれわれは大まかに結論することができるのである。

2008年1月9日水曜日

CES2008@Las Vegas

現在ラスベガスで開催されているCESに来ている。
昨日はPanasonicの基調講演に出席した。
主な発表製品は以下の通り。

  • 150インチ・プラズマテレビ(実際にものをみるとその迫力にびびる)


  • 超薄型プラズマテレビ(うすうす)



  • YouTube, PicasaWebAlbumが見れるIPTV、北米のみ(日本でもほしい)



  • Life Wall (なんかの映画でみたことある気がする。手をかざして壁に投影されているコンテンツを操作)



そして家電見本市ということでやはり全体として華やか。
  • バイオリンを奏でる美女たち


夜はラスベガスのホテルでやっているショーを見に行った。
舞台施設にものすごくお金かかってそう。
なかなか迫力があった。

2008年1月3日木曜日

生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
福岡 伸一
4061498916

分子生物学の歴史や著者福岡先生の実体験をもとに、「生命とは何か?」ということについて考察した本。
非常におもしろかった。


「生命とは何か?」という問いに対する答えとして、著者は「動的平衡」をあげる。
生物は実世界にいる以上物理的な制約下にあるため、システムのエントロピーは増大し、エントロピー最大の状態、つまり死(平衡状態)に向かっている。
しかし、生命は無生物のシステムが平衡状態になるよりもずっと長い間、エントロピー最大とはならず、成長し、秩序を維持し続けている。
それは生命がその秩序を維持し続けるために、その秩序を絶え間なく壊し続けているためである。

生命とは動的平衡にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で、動的な平衡状態を保ちえているのである。
つまり、我々を構成している分子は絶えず作られては壊され、その一連の動作が繰り返されることでエントロピー増大の法則に抵抗し、秩序を保っているのである。
それを可能にしているのはタンパク質自身のかたちであり、ジグソーパズルのピースが隣のピースが決まればすぐに決まるように、タンパク質もすぐにくっつくべき相手を見つけることができる。
また、生命は動的平衡状態にあり、「柔らかい」システムになっているため、柔軟に様々な変化に対して適応することができる。
つまり生命とはデカルトがとらえた機械としての生命とは一線を画し、その柔軟性、適応性が生命を生命たらしめている。
(本書の要約ここまで)

そしてこの「動的平衡」らしきものが生命に限らずあらゆる場面で見られる、というのがまたおもしろい。
例えば、「知能」。
従来の人工知能の枠組みでは、入力に対してある出力を出す、というプログラムを組むことでロボットを作ることになる。
しかし、この枠組みだけではゴミ収集ロボットさえ作れない。
ゴミ収集ロボットは、今自分がどこにいて、どこを向いていて、ゴミはどこにあって、などなどのあらゆる情報を入力とし、それに応じて行動を出力する必要がある。
複雑な環境下ではどういったことが起こるかというとロボットは、そういった情報をずーっと計算し続け、結局何もできない。
一方、人間は当たり前のようにゴミを拾い集めることができる。
そこでは膨大な計算は少なくとも意識化ではなされておらず、我々は柔軟に対応している。
知能は機械などではなく、「融通無碍」(←今朝の読売新聞にあった用語。わかりやすい)な何かである。

もう一つの例として、社会におけるイノベーション(最近はWeb 2.0と同じようにマーケティング用語化している感じだけど)がある。
従来の経済学では、経済の均衡状態すなわちエントロピー最大の状態を考察している。
しかし、経済活動はそのような均衡状態に本質的な意味があるのではなく(これは生命に当てはめれば死の状態である)、エントロピー増大の法則に抗う力にこそ意味があると思う。
その力の一つが、経済の秩序を壊しそして経済の秩序を維持し続ける力としてのイノベーションだと思う。
(アマゾン、グーグル、アップルのiPhoneなどと次々にその力が海の向こう側で起こり、日本では最近起こらないのが残念だけど)

その他にも、音楽における秩序、芸術における秩序、人間関係、しいてはニコニコ動画の流れるコメント(?)と色々と「動的平衡」らしきものをあげることができる。

世の中のあらゆる分野でそれが「いかにあるか」「いかにあるべきか」という問いには、重要な「何か」が共通して存在し、その一つが本書にある「動的平衡」なのかもしれない。

2008年1月1日火曜日

佐藤可士和の超整理術

2008年です。あけましておめでとうございます。

佐藤可士和の超整理術
佐藤 可士和
4532165946

この本、一気に読み終えた。
著者の佐藤可士和氏はアートディレクターであり、氏の考える「整理術」がわかりやすく書いてある。
本書はいわゆるHow to本ではなく、あらゆる問題解決の場面での根本としての、いわば氏の技芸といったものが記してある本、というイメージ。
著者が「対象を整理して、本質を導き出して形にすることがデザイン」といっていることからも、本書における「整理術」というのは小手先の整理とは違う、まさに「超整理術」である。
大学にいた頃に研究論文を書くという作業を通じて曖昧ながらも感じていたことや、今の仕事にも通用するものがあり、頭の中が「整理」された。

本書は著者の本業であるデザインに限らず、様々な職種に対しても参考になると思われるが、自分が現在たまたま仕事としてデザインに関わっているということで、デザインという切り口から思ったことを書いてみる。

以前、同僚と「デザインは論理かそれとも感性か」という話をしていたことがある。
この問題を考察する上で参考になる実例が本書にはたくさんあった。

例えば、発泡酒の「極生」。
当時発泡酒は、「ビールの廉価版」というネガティブイメージがあり、業界は価格競争にもまれていたが、著者はそのマイナスイメージ(「ビールの廉価版」「コクが足りない」)をポジティブイメージ(「カジュアルで現代的な飲み物」「ライトで爽やかな飲み口」)に転換してとらえなおした。
そしてキリンの発泡酒の名前を「極生」とし、新たなイメージに沿ってパッケージデザインをシャープなデザインに仕上げたことで結果的に「極生」がヒット商品になった。


この例からわかるのは、何も天才画家がその人の感性に従って作った、他の人にとっては全く理解不能な、でも美術館でなぜだか恐れ多いものとして展示してるあるような画としてのデザインとは全く異なるという意味で、(プロダクト)デザインの中に占める論理の割合は非常に大きいと思う。
そのようなデザインになっているのは筋道だった意味がある、という意味においても。
また、「極生」とは別の話だが、直感的で使いやすい優れたUser Interfaceを提供する、というのも論理が大きく関わる部分だと思う。

一方、著者は対象を「優れた視点」で捉えられるか否かというのが、問題解決への分かれ道になるということを述べている。
そしてこの「優れた視点」は、クライアントとの対話、現状分析、などなどといったことを通じて見つけることになるのだが、まさにここが、その人の感性が問われるところだと思う。
「コクが足りない」を「ライトで爽やかな飲み口」に捉えられるかどうかは、その人の感性である。
明確な課題を洗い出した上でそこから具体的なデザインに仕上げることができるかどうかもその人の感性。
このことはデザインに限った話ではなく、学術研究においても当てはまる。
何か仮説を立てて、それを信じて筋道だって論じていく。
この仮説がまさにその人の感性が働くところになるわけだが、その仮説の立て方が運命の分かれ道。
自分の立てた仮説に従って、論理立てて議論を進めた結果、何年も後にそれは間違った仮説であった、研究成果としては何も残らない、ということなんて十分ありうる。

結局、デザインとは論理であり感性であるのかもしれない。

また、本書の最後にある、

問題解決のための手がかりは必ず、対象のなかにあります。優れた視点で対象を整理すれば、解決に向けての方向が明確になる。答えは、目の前にあるのです。
という記述は興味深かった。
本質は、プラトンのイデアのようにどこか別の世界にあるのではなく、その対象そのものに内在しているというアリストテレス的な世界観。
ただし、こういった話を「デザイン」(見た目としてのデザインのみならず、工学などのデザイン問題)に明確な自分の考えをもってしてとらえるのにはまだ頭の中が「整理」しきれていないため、とりあえず今の段階では頭の片隅にとどめておくことにする。