2008年1月3日木曜日

生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
福岡 伸一
4061498916

分子生物学の歴史や著者福岡先生の実体験をもとに、「生命とは何か?」ということについて考察した本。
非常におもしろかった。


「生命とは何か?」という問いに対する答えとして、著者は「動的平衡」をあげる。
生物は実世界にいる以上物理的な制約下にあるため、システムのエントロピーは増大し、エントロピー最大の状態、つまり死(平衡状態)に向かっている。
しかし、生命は無生物のシステムが平衡状態になるよりもずっと長い間、エントロピー最大とはならず、成長し、秩序を維持し続けている。
それは生命がその秩序を維持し続けるために、その秩序を絶え間なく壊し続けているためである。

生命とは動的平衡にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で、動的な平衡状態を保ちえているのである。
つまり、我々を構成している分子は絶えず作られては壊され、その一連の動作が繰り返されることでエントロピー増大の法則に抵抗し、秩序を保っているのである。
それを可能にしているのはタンパク質自身のかたちであり、ジグソーパズルのピースが隣のピースが決まればすぐに決まるように、タンパク質もすぐにくっつくべき相手を見つけることができる。
また、生命は動的平衡状態にあり、「柔らかい」システムになっているため、柔軟に様々な変化に対して適応することができる。
つまり生命とはデカルトがとらえた機械としての生命とは一線を画し、その柔軟性、適応性が生命を生命たらしめている。
(本書の要約ここまで)

そしてこの「動的平衡」らしきものが生命に限らずあらゆる場面で見られる、というのがまたおもしろい。
例えば、「知能」。
従来の人工知能の枠組みでは、入力に対してある出力を出す、というプログラムを組むことでロボットを作ることになる。
しかし、この枠組みだけではゴミ収集ロボットさえ作れない。
ゴミ収集ロボットは、今自分がどこにいて、どこを向いていて、ゴミはどこにあって、などなどのあらゆる情報を入力とし、それに応じて行動を出力する必要がある。
複雑な環境下ではどういったことが起こるかというとロボットは、そういった情報をずーっと計算し続け、結局何もできない。
一方、人間は当たり前のようにゴミを拾い集めることができる。
そこでは膨大な計算は少なくとも意識化ではなされておらず、我々は柔軟に対応している。
知能は機械などではなく、「融通無碍」(←今朝の読売新聞にあった用語。わかりやすい)な何かである。

もう一つの例として、社会におけるイノベーション(最近はWeb 2.0と同じようにマーケティング用語化している感じだけど)がある。
従来の経済学では、経済の均衡状態すなわちエントロピー最大の状態を考察している。
しかし、経済活動はそのような均衡状態に本質的な意味があるのではなく(これは生命に当てはめれば死の状態である)、エントロピー増大の法則に抗う力にこそ意味があると思う。
その力の一つが、経済の秩序を壊しそして経済の秩序を維持し続ける力としてのイノベーションだと思う。
(アマゾン、グーグル、アップルのiPhoneなどと次々にその力が海の向こう側で起こり、日本では最近起こらないのが残念だけど)

その他にも、音楽における秩序、芸術における秩序、人間関係、しいてはニコニコ動画の流れるコメント(?)と色々と「動的平衡」らしきものをあげることができる。

世の中のあらゆる分野でそれが「いかにあるか」「いかにあるべきか」という問いには、重要な「何か」が共通して存在し、その一つが本書にある「動的平衡」なのかもしれない。