2008年です。あけましておめでとうございます。
佐藤可士和の超整理術
佐藤 可士和
この本、一気に読み終えた。
著者の佐藤可士和氏はアートディレクターであり、氏の考える「整理術」がわかりやすく書いてある。
本書はいわゆるHow to本ではなく、あらゆる問題解決の場面での根本としての、いわば氏の技芸といったものが記してある本、というイメージ。
著者が「対象を整理して、本質を導き出して形にすることがデザイン」といっていることからも、本書における「整理術」というのは小手先の整理とは違う、まさに「超整理術」である。
大学にいた頃に研究論文を書くという作業を通じて曖昧ながらも感じていたことや、今の仕事にも通用するものがあり、頭の中が「整理」された。
本書は著者の本業であるデザインに限らず、様々な職種に対しても参考になると思われるが、自分が現在たまたま仕事としてデザインに関わっているということで、デザインという切り口から思ったことを書いてみる。
以前、同僚と「デザインは論理かそれとも感性か」という話をしていたことがある。
この問題を考察する上で参考になる実例が本書にはたくさんあった。
例えば、発泡酒の「極生」。
当時発泡酒は、「ビールの廉価版」というネガティブイメージがあり、業界は価格競争にもまれていたが、著者はそのマイナスイメージ(「ビールの廉価版」「コクが足りない」)をポジティブイメージ(「カジュアルで現代的な飲み物」「ライトで爽やかな飲み口」)に転換してとらえなおした。
そしてキリンの発泡酒の名前を「極生」とし、新たなイメージに沿ってパッケージデザインをシャープなデザインに仕上げたことで結果的に「極生」がヒット商品になった。
この例からわかるのは、何も天才画家がその人の感性に従って作った、他の人にとっては全く理解不能な、でも美術館でなぜだか恐れ多いものとして展示してるあるような画としてのデザインとは全く異なるという意味で、(プロダクト)デザインの中に占める論理の割合は非常に大きいと思う。
そのようなデザインになっているのは筋道だった意味がある、という意味においても。
また、「極生」とは別の話だが、直感的で使いやすい優れたUser Interfaceを提供する、というのも論理が大きく関わる部分だと思う。
一方、著者は対象を「優れた視点」で捉えられるか否かというのが、問題解決への分かれ道になるということを述べている。
そしてこの「優れた視点」は、クライアントとの対話、現状分析、などなどといったことを通じて見つけることになるのだが、まさにここが、その人の感性が問われるところだと思う。
「コクが足りない」を「ライトで爽やかな飲み口」に捉えられるかどうかは、その人の感性である。
明確な課題を洗い出した上でそこから具体的なデザインに仕上げることができるかどうかもその人の感性。
このことはデザインに限った話ではなく、学術研究においても当てはまる。
何か仮説を立てて、それを信じて筋道だって論じていく。
この仮説がまさにその人の感性が働くところになるわけだが、その仮説の立て方が運命の分かれ道。
自分の立てた仮説に従って、論理立てて議論を進めた結果、何年も後にそれは間違った仮説であった、研究成果としては何も残らない、ということなんて十分ありうる。
結局、デザインとは論理であり感性であるのかもしれない。
また、本書の最後にある、
問題解決のための手がかりは必ず、対象のなかにあります。優れた視点で対象を整理すれば、解決に向けての方向が明確になる。答えは、目の前にあるのです。という記述は興味深かった。
本質は、プラトンのイデアのようにどこか別の世界にあるのではなく、その対象そのものに内在しているというアリストテレス的な世界観。
ただし、こういった話を「デザイン」(見た目としてのデザインのみならず、工学などのデザイン問題)に明確な自分の考えをもってしてとらえるのにはまだ頭の中が「整理」しきれていないため、とりあえず今の段階では頭の片隅にとどめておくことにする。
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