システムの科学
ハーバート・A. サイモン Herbert A. Simon 稲葉 元吉
コンピュータ科学、心理学専門でノーベル経済学賞を受賞しているなんでも一流の著者による本(初版1969年)。
そして自分が大学生の頃に所属していた研究室のバイブル的な本。
当時初めて読んだ(読まされた笑)のは大学4年生の時で難解であまり意味がわからなかった。
先日ふと本棚にほこりをかぶっているのを見かけてひっぱりだして読んでみた。
読み終わって思ったのは、この本は自分のやってきたこと、今やっていること、そしてこれからもやっていくであろうこと、に関して色々とヒントを与えてくれる、ということ。
もちろんその内容の全てを理解したわけではないし(自分のものにする、という意味で)、これからもこの本を読む度に新しい発見があるのだろうけど、研究室の指導教官がこの本をいつも引き合いに出してたのが少しわかった気がする。
内容は濃すぎて一度にここで書くことはできないけれども、この本は「デザイン」とは何なのか?ということを科学的な知見や経験から述べている。
ここでいう「デザイン」はもちろん見た目だけのデザインではなく、制度設計、製品開発、芸術、あらゆる「人工物」に関わる全て。
その切り口として著者は、「人間の思考」というものを取り上げている。
つまり人間の思考や問題解決能力を研究することによって、それがしいては「デザインの科学」「人工物の科学」につながっていく、と。
本書の中の大きな主張の一つとして以下がある。
1つの行動システムとして眺めると、人間はきわめて単純なものである。その行動の経時的な複雑さは、主として彼がおかれている環境の複雑性を反映したものにほかならない。たとえば、蟻が歩いた経路は複雑であるかもしれないが、蟻は単体としてみれば単純である(障害物にあたったら違う方向をみて動く、などなど。おそらく非常に簡単なプログラムに基づいて動いているものと思われる。もちろん蟻といえどその内部構造は複雑極まりないが)。
ここで蟻の経路を複雑にしているのは蟻が置かれている複雑な環境そのものであり、そこには岩があり、水があり、様々な障害物がある。
著者は人間の一見複雑極まりない「知能」というのも単純で「人工的」なメカニズムをベースとしているとする。
その複雑性は人間のおかれている環境にあるとし、その科学的知見を述べている(ここで誤解を恐れずにいうと、人間の思考は「人工的」であるとは言っているが著者はデカルトの機械論とはかなり異なる立場にあると思う。でもとりあえず省略)。
これを現在のインターネットの世界に照らし合わせてみると結構おもしろい。
Webの世界にはあらゆる知識や情報があり、検索エンジンを通して個は自身をエンパワーすることができるため、よくWebの世界は外部化された「脳」みたいなものだと言われている。
こういうことは確かに感覚的にはなんとなくわかるんだが、「脳」という便利な言葉で片付けている感がしていまいちすっきりしなかった。
サイモンの上の主張はそのまま今のWebの世界にも当てはめることができるとおもう。
Web上にあるページをインデックス化しているのは検索エンジンのロボットである。
その仕組みは複雑かもしれないが、これは人間がプログラムしているものであり、よって「人工物」であり、単純である。
一方、Web上の各ページを作成しているのはそれぞれの人間であり、その総数や書いてある知識は膨大かつ日々爆発的に増えており、複雑である。
すなわち、検索エンジンを行動主体としてみた場合、検索エンジンがもたらすその複雑な知的な行動(あらゆる情報があってそこから色々と引き出せる、という意味)は、結局はその検索エンジンの環境であるWebの複雑さがそれを反映しているだけであり、検索エンジン自体は単純である。
サイモンの仮説(もちろん当時はWebなどない)にたってみるとWebが「脳」というふうに言われる所以は確かに合っているのかもしれない。
まさに、「人間の思考」を考えることによってWebという人工物を少し理解することができる。
とりあえずの締めとして本書の引用を。
もしも私の主張が正しいとするならば、技術教育に関する専門的な1分野としてのみならず、すべての教養人の中心的な学問の1つとして、人間の固有の研究領域はデザインの科学にほかならない、とわれわれは大まかに結論することができるのである。
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