2008年5月5日月曜日

山の概念空間

国立新美術館でやっている「アーティストファイル 2008 - 現代の作家たち」にいってきた。
その展示物の1つに真っ暗な空間に6つのスクリーンを立てて、それぞれのスクリーンで現実や非現実が交錯したような映像を流す作品があった。
その空間にいて映像を眺めているとなんだか不思議な気分になってきて、色々と妄想してた。

このブログのタイトルでもある"move in the field of mountains"もその妄想対象。
以下の図のような事を考えてた(絵心ないです)。

"山を動き回る"ということで、自身を磨き上げて山を登っていく、というような超ポジティブな見方もあるんだが、この概念空間はもっと色々と当てはめることができる。と思う。

  • 今自分が何をするのか、という意思決定に関わること。例えば一つ一つの山が、「遊ぶこと」「寝ること」「勉強すること」「食べること」etcに相当。
  • ある仕事上のタスクを達成しなければならない。どういうプロセスを経るのか。例えば、山は「自分で調べる」「上司に相談」「同僚に相談」「とりあえず寝かす」etcに相当。
  • ある事柄、事件の真相。例えばインターネットの世界では、ある一つの事件についても色々な視点からの意見がある。山はそれぞれの視点に相当。
  • デザインプロセス。山は「プロタイプを作る」「仕様書を書く」「誰かに相談」etcに相当
  • 解決策をひねる出すこと。それぞれの山は代替案に相当。
  • 本を読むということは本の作者の世界を体験するということであり、今までの自分の「山」とは違った山を登るということに相当。
  • ニュートンの言葉とされている「Standing on the shoulders of giants」。今までの偉人が成し遂げた成果の上にたって、初めて新たな知見が生まれる、というやつ。(ちなみにこの言葉はニュートンがその時のライバルをバカにする意味で使ったというのを何かの本に書いてあったのを覚えている。Standing on the shoulders of giants. Not yours みたいな感じで)
  • 出会いそのもの。色んな人とコミュニケーションするというのは、一つ一つの山を動き回るということに相当するのかもしれない
  • その他色々。
世の中における、「いかにあるべきか」「いかにあるのか」ということを考える土台として、move in the field of mountainsという、山を用いた概念空間が有効なのではないのか、ということを改めて考えていた。

全然文章がまとまっていないけど、そういう真っ暗な、非現実的なんだがリアルな空間の中で、空想の世界である山の概念空間について以上のような妄想をしてました。