2008年2月25日月曜日

システムの科学 part 2

以前、システムの科学について書いた。
この本のポイントは、

一つの行動システムとして眺めると、人間はきわめて単純なものである。その行動の経時的な複雑さは、主として彼がおかれている環境の複雑性を反映したものにほかならない

ということである。

この記事を読んで再び上の主張や大学の研究で関わっていた身体性認知科学のことを思い出した。
ロボットにある構造的な制約を持たせる「だけ」で、空間に散らばっている物体を収集できるということである。
つまりロボットの有している身体性をうまく利用し、センサーに反応する、という単純な手順をロボットにプログラムすることで、ロボットと物体が散らばった複雑な環境の相互作用を介して、物体収集という知的な行動が創発する。
ロボットにあらゆる情報を把握させ、IF文を用いて複雑な手順をプログラムすると結果的にロボットはずーっと計算しつづけて何もできなくなる、特に複雑な環境下では(人間はこんなことはしない。反射的であったり適当に判断することもあるがそれでうまくいっている部分はある。その意味で人間は単純だ)。
行動主体と環境との単純な相互作用を利用することによって知的な行動が創発する、というのはまさに「デザインとはなにか?」ということに対する一つのキーポイントだ。

このロボットの研究を踏まえると、上のシステムの科学の主張は次のように言い換えることができると思う(もしかして上の主張の言い換えというよりはサブセットに近いかも)。

行動システムは単純で、構造的制約や認知的制約を有しているからこそ、複雑な環境と相互作用することで知的な行動が可能になる

と。

この言い換えた主張を、では実際にエンジニアリングに携わっている身としてどのように捉えることができるか。
それはきっと、

行動主体と複雑な環境との相互作用によって知的な行動、秩序だったなにかが可能になるべく、行動主体と環境とのインターフェースをデザインする

ということになるのだと思う。
つまり創発が起こるべく仕掛けをほどこす、ということ。
「デザインとはコミュニケーションである」とよく言われるがこれもそのとおりだと思う。まさにコミュニケーションとはあなたと私、物体と私、物体と環境、などなどで発生する相互作用に他ならず、デザインとはそのインターフェースを設計することでもあるからだ(商品パッケージであっても空間デザインであっても建築であっても)。

ここでは検索ロボット(行動主体)と複雑なウェブの世界(環境)との相互作用によって知的な行動が創発することは述べた。
では人間とウェブの世界はどうだろうか。
ブラウザを立ち上げて、検索ボックスにキーワードを入力すれば自分の求めていた情報にたどり着けるし、ウェブサイトに張ってあるリンクをたどればおもしろい情報にだとり着くことができる。
そういう意味では「有益な情報にたどり着く」、という知的な行動を仕掛ける現在のインターフェースはなかなかうまくいっているとおもう。
だけどここにまだまだ色々な革新的なことができるのではないのか、という気がしてならない(これだ!というのが今はないんだけど)。
キーをタイプしなくても音声認識だけでたどり着けるとか(この研究は結構進んでいるとおもう)、ブラウザなんていらないとか、実際に手を動かすだけで好きな情報をひっぱりだしたりできる、などなどと(発想が貧弱です)。


グーグルの起こした革命の一つは、「検索ロボットの身体性」を利用し、ページランクという今考えれば単純な手順をほどこすことで検索ロボットと複雑なウェブの世界のインターフェースをデザインすることによってウェブ上の情報をうまく整理したことだ。
次の革命はもしかして人間の有している身体性をうまく利用した、人間と情報(ウェブに限らず)の間のインターフェースをデザインすることに関わっているのかもしれない。

この部分が任天堂やアップルのうまいところなんだよなー。